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ブログ移転のお知らせ

このブログは現在、「サブボディ共振塾ヒマラヤ」 の
「多重人格肯定日記」で継続しています。
お手数ですが、上記へお越しください。
# by yukuefumeisha | 2009-09-20 09:13 | 行方不明者たち

解離とはなにか


解離とは何か?
この謎に取り組んでいこう。
私の人生の中で出会った大きな謎はいくつもある。
アニマも最大の謎のひとつだ。
なぜわたしは私特有のアニマを追い求め続けてきたのか。
私の透明な少女像。
それはどこからどうしてやってきて私にとりつき、支配され続けてきたのか。
この謎は終生の課題として取り組み続けている。
もうひとつの大きな謎は、解離だ。
それは何なのか。
どんな現象であり、何がどうなって起こるものなのか。
今までは、これに取り組む余裕はなかった。
それから逃れるための方策でいっっぱいだった。
だが、60を越えて、自分の人生を突き放して丸ごと感じ取れるような離見の目が出てきた。
いまこそ、この課題に取り組む時期だ。
きっかけは、夕べ、Veohからダウンロードした「変身」という少し前の映画を見ていたときにやってきた。
玉木宏と蒼井優のカップルの間に起こった悲劇を取り扱っていた。
二人は知り合い、恋仲になるのだが、二人で住む家を探そうと訪れた不動産屋で、
強盗犯人に脳を撃たれ、頭部貫通という瀕死の重傷を負う。
そして、自殺した犯人とたまたま26項目の脳移植の適合基準を満たしていたため、
犯人の脳の移植を受けることになる。
回復の過程で、移植された脳が、別人格を持って動きはじめる。
愛していた恋人を以前のようには愛せなくなる。
食べ物の好みや性格まで変わってしまう。
そして、二つの人格が切り替わるときに、鋭い頭痛に見舞われる。
これは、私の解離症状が発症するときとまったく同じだった。
解離が起こる瞬間の不快な目眩と、頭痛を不意に思い出した。
あれはなんだったんだろう。
ここから考え始めた。
目眩と頭痛によって人格状態が切り替わり、しかもそれを意識できないという、
本格的な解離が始まったのは、50歳ごろからだった。
だが、思い返せば、その以前からずっと兆候はあった。
めまいというか、日常生活を送っている中で、ふっと気が遠くなり、
気がつけば異時空に心が飛んでいる現象だ。
親しい友はそれに気づいて、
「話している最中にお前は顔がのっぺりなるときがある」と
よく指摘されていた。
道を歩きながら白昼夢にさまよいこむことも多かった。
これは俺のたちなのだ、と思いなしていた。
幼いころから詩や絵をかいていた私はそれを特に不都合とも思わなかった。
非日常な世界にさまよいこむことは、私の創造の宝庫だったからだ。
だが、それが始まるときいつも軽いめまいのような感覚を伴っていたのを思い出した。
その現象は、後年の解離とどこかでつながっていそうな気がする。
解離が最も激しかった50代前半の頃、必死で脳について調べた。
明らかに脳の状態が物理的にも変化しているという体感があった。
ホルモン状態や、脳細胞の環境がころっと変わってしまっているはずだった。
とりあえずは分かりやすい脳ホルモン状態のちがいによって、
人格状態の変化が起こるという仮説をたて、その対応を探査した。
それによれば大きな人格状態の変化はいくつかに分類できることが分かった。

アド人格

もっともくっきり違うのは、アドレナリン人格だ。
交感神経が極度に興奮し、アドレナリンやノルアドレナリンに充満した脳心身状態となる。
わずかな刺激にも命がけの闘争反応でしか対応できなくなる。
その状態になると、人生で生死を賭けて闘争していた学生時代の惨劇の記憶がぶり返す。
そしてそれがそれ以外の人生の記憶とも結びつく。
周りがみんな敵意をもって私を取り囲んでいるかのような妄想が取り付いて離れなくなる。
私の属していた党派の最高指導者は、アジトで寝込み中に、
5人の鉄パイプで武装した反対党派の暗殺団に襲われ、
おそらく頭蓋骨を割られて死亡した。
頭蓋骨を割られて死んだのは大学のひとつ後輩の辻敏明も同じだ。
高校で剣道部の主将だった彼は、腕に覚えがあったので、
一人で何人も相手と渡り合う、乱闘ではもっとも困難な最後尾の臀戦を戦っていたに違いない。
そこでやはり頭を割られて死んだ。
学生組織の全国副委員長だった彼は対立党派に狙われていたのだ。
インドに来てから、
校舎の建築中にインドと日本の激しい意文化ギャップに直面したときも
異国の環境のすべてが私に敵意を持っているかのような妄想に襲われて神経症になった。
罪もないインドの大工さんや左官に対してさえ、殺意が沸くほどの激怒発作に襲われた。
また、同時に子供の頃からかわいがっていたチベッタンの少年が
学校で悪の仲間になり、私の家に忍び入って金を盗み出すようになってしまってからは
彼の侵入におびえて、夜中に物音がすると瞬間に全身アドモードに変化することがしょっちゅう起こった。
私の留守中に留守番をしていた女性を襲い、強姦に及ぼうとした事件がそれに拍車をかけた。
彼は屈強な体躯に成長していたが、彼を相手に肉弾戦に入る妄想を何千回も体験した。
いまは、少しでもアドレナリンが増加すると、からだが不快を発するので、
そうなりそうな環境には注意深く事前に遠ざかることで、対処している。
誰と会うかもしれない町には出ないし、
人との論議など絶対に避ける。
わずかな自我の反応にも傷ついてしまうからだ。
革命闘争時代の人格、山沢や今故がこの代表格だ。
アドレナリンの濃度やそれ以外の多数のホルモンや伝達物質の布置の違いによって、
アド人格は多数に分岐する。
比較的平和な反戦闘争時代の山沢は暴力を好まない。
運動が対政府や革命党派間の暴力闘争に移行した時代の今故は、
いつも追い詰められ切羽詰った暴力的な瞬間反応の布置を背負っている。
この状態と、胎児時代の最後に陣痛の中で子宮が痙攣的に収縮し、
それまで居心地のよかった子宮世界から追い出され、息をつめて胎道を通過していたときの
生死の間で葛藤する生物学的怒りの内クオリアが共振して、
インドの校舎建設時代の神経症を発症したと思われる。

オキ人格

アドの正反対にいるのが、オキシトシンに満ちたからだになるオキ人格だ。
オキシトシンは人と人の肌のふれあいを促進する。
出産した母親はオキシトシンに満ちたからだになって育児に専念する。
わたしもオキシトシンモードになると、ただ人と人のふれあいの中で安らぐからだになる。
オキシトシン以外のさまざまなホルモンの布置によって、オキ人格はいくつにも分かれる。
少年期人格や、ロリ人格など<n個の性>が、この中に入る。
テストステロンはじめ、多数の厄介な動物的性欲ホルモンが無数に関与している。
そして、からだのことと、アニマなど幻想の元型的クオリアが多数多次元的に密接に絡み合っている、
もっとも微妙な領域だ。

ペルソナ人格

この人格状態になると、声もよそよそしく機械的なものに変化する。
ほかの命と生きた接触ができない。
生きたクオリアを何も感じられなくなる。
アドやオキのような単純なものではなく、数多くのホルモンや体内伝達物質が
総合して作用し、脳内の生きた人間関係ののクオリアが保存されている部位に
触れることができなくなると思われる。
この人格状態は、アドやオキ、ロリや少年の要素をからだの奥に秘め隠し
親や大人たちの暴威から守るために少年期の私の命が分泌した防護壁のような存在だ。


カルシウムウェーブ

近年の脳科学では、記憶クオリアを保存しているグリア細胞は、
カルシウムイオン濃度が波動的に変化するカルシウムウェーブによって
活性化されていることが知られてきている。
おそらく、解離現象は脳内の一部のグリア細胞に
このカルシウムウェーブがいきわたらなくなることと関わっていると思われる。
激しい目眩や頭痛が起こるのは、
それまでカルシウムウェーブによって活性化されていた脳の一部位が突然不活性化され、
それまで不活性だった部位が不意に活性化される脳内布置の急激な変化が引き起こす
神経的なショック現象なのではないか。


脳内血流分布の変化

もうひとつは、脳内血流分布の変化だ。
脳内血流は近年の磁気共鳴装置を使った脳内マッピング技術によって、
その変化を目で見て捉えられるようになった。
これら、カルシウムウェーブや、血流変化がなぜ起こるのかの解明はまだまだずっと後れるだろう。
科学者たちははいまだに物質的な次元の生命現象に囚われているからだ。
私には彼らの多くが、生命の全体から疎外されている重度の解離症に見える。
彼らが生命からの解離症から回復し、
生命現象が、不可視の微細多次元に相渡るものであることの理解が進まなければ、
猿が機械を扱っているのと変わりがないからだ。
実際、脳科学者の書物を読むと、思い切り野蛮な診断に満ち溢れているのに驚く。
私の読書経験が不幸だったのか、当代を代表する知識人のはずなのに、
とても、命と共振しうる微細な感性と知性の持ち主とは思えない人ばかりだ。
特定の知識や技術が身につくとそれを振り回し、それに振り回されている。
命への畏怖を忘れて自我肥大に陥っている。
そんな人々によって、患者に対し冷酷無比な診断が下され、薬漬けにされる。
そんな事態から抜け出すには、患者自身が自らの命に起こっていることに
静かに耳を澄まし、自分の命と友達になり、自己治癒力を身につけていくことが大事だ。
私は自分に起こったことを、少しでもその役に立つように解明し、差し出していくつもりだ。
60を過ぎた人生はおまけのようなものだ。
もう自分のことはどうでもよいこととして脇においておける。
ただ一番よく知っている自分のからだに起こっていること、起こったことを
そのまま透明な生体解剖例として差し出すことができる。
卑猥や隠微さに満ち満ちているが、命に起こったことだ、何の恥ずかしさもない。
もともと丸裸で踊り続けてきた身だ。
命には外見と内部の違いもない。
限りなく透明になることだけが人生上の最大の課題だ。


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# by yukuefumeisha | 2009-09-20 09:05 | 行方不明者たち

アド人格、一挙騒乱!

2007年12月9日

●アド人格、一挙騒乱!

今年の授業が終わった瞬間、
ここぞとばかりに、それまで教師人格の顔を立てて
おとなしくしていた分身人格たちが、一挙に騒乱状態に入った。
突然とんでもない祭りのような状態が始まっている。
今年は、教師人格はよい長期生徒に恵まれたおかげもあって、
これまでしたくてもできなかった衰弱体への変成技法を
かなり掘り進めることができた。
サブ人格たちもすべてその仕事ののっぴきならなさが
よくわかっていたので自重してくれていた。

でも、今から思えば授業の最後の週には、もう待ちきれずに
アド人格が暴発しかけた。
生徒の一人がサブボディの場に選んだ、滝に駆けつける道で、
突然わたしは白昼夢に襲われた。
もう何百回も襲われた妄想だ。
道を車で進む最中に、わたしを裏切って、窃盗・強盗に及んだ
何年間も世話をしていたチベット人青年に突然出会う妄想に襲われた。
瞬時に彼と肉体的な殺し合いに入った。
裏切られた憎しみに全身の血がたぎり、胃が燃え、からだがこわばった。
なんどもなんども妄想の中で殺した相手を、その日も殺した。
何百回殺しても、わたしもまた殺されるかもしれない恐怖に
からだがつつまれ修羅に急変した。
相手は20歳の屈強の青年、こちらは60歳だ。
気迫で勝る以外に勝ち目がない。
肉弾戦で命を奪い合うクオリアほど痛ましいものはない。
小さいころからかわいがっていた青年だ。
高校に入って不良グループの一員に変貌していたことを
長い間見抜けなかった。
インドで陥ったわたしの神経症を加速した事件だった。

その興奮からからだが抜け出るまで一週間以上かかった。
いや、まだアドレナリン・レベルは高まったままだ。
あらゆる出来事に理不尽に否定的な反応が走る。

昨日、行きつけのサイトで、ジョンレノンの命日だと知って、
イマジンをサイトに貼り付けた。
そのとき、突然思い出した。
なんてこった!
12月4日は、大学の盟友、辻敏明の命日だったではないか。

辻は大阪天王寺高校の剣道部の主将だった。
気は優しくて力強いを絵に描くようないい男だった。
大学の一年後輩だった。わたしは辻が大好きだった。
他党派との内ゲバで、鉄パイプで後頭部を割られて絶命した。
党派の学生組織の副委員長という肩書きによって
辻は狙われたのかもしれない。
あるいは剣道2段という自負が、
肉弾戦でのもっとも危険な臀戦を買って出たのかもしれない。
辻はそういうやつだった。
いいやつほど早く死ぬ。
何度も何度もわたしの夢枕に現れた。
わたしの最初の踊り、伝染熱を創る最大の動因になった男だ。
そいつのことを、学校の最後の週の追い込みで、思い出せなかった。
それが、あのチベット青年との死闘につながったのかもしれない。
辻が、何か忘れていないかと、ささやいたのかも知れない。
(こういう擬人的な書き方をするが、このとき、わたしは
わたしの脳のグリア細胞に保存されている辻のクオリアを
わたしの脳が呼び出し味わっていることを知っている。
命が感じる内クオリア以外に、
人間の霊だの魂だのが存在する場所はない。
煩雑だから、いちいちそう書かないだけだ。)

からだの闇に刻み込まれた布置は何年たっても変わらない。
この手の妄想に出会うべくして出会うのがわたしなのだ。
からだが極度のアドレナリン状態になると、
過去の惨劇という惨劇の記憶が一挙に多重化して襲い掛かる。
これがフラッシュバックや神経症をもたらす動因だ。
内クオリアのリアリティを
脳はすべて現実として受け取って反応してしまうのだ。
そのことをわたしは自分の経験から導き出しつかんだ。
だがいくら頭でそうと理解していても、
妄想に襲われたらからだはひとたまりもなく
極限状態まで持っていかれてしまう。
一挙に何百回目かの殺人にまで走らされる。
予告なくやってくるこの殺人者人格への急変を
わたしはまだ死ぬまでに何十回も味あわねばならないだろう。
仕方がない。これがわたしなのだ。

からだの闇には天国も地獄も詰まっている。
地獄があるから、命は天国も必要とするのだ。
そういうのっぴきならないからだの闇の中のつながりが
透き通って見えてきた。
明日は天国について書こう。


# by yukuefumeisha | 2007-12-10 04:53 | 行方不明者たち

ややこしい関係

2006年9月21日

●別の人格が作った人間関係

解離性障害の症状は多岐にわたる。
人格間の関係のありようもさまざまなようだ。
人格間で交通のある人も多いようだ。
だが、私の場合はまったくない。
若い頃から数年おきに切り替わてきた。
互いの人格は
それぞれに相手の死をねがっているほどに
否定しあっている。
かかわりのかの字ももてない。
各人格間に交通が成り立っていない
私の場合、解離性同一性障害で最も困るのが
E人格(エピキュリアン人格)が
主人格になっていた時期に作った人間関係を、
交替したS人格(ストイック人格)が
認知できないという問題だ。

E人格は3歳で母から捨てられ祖母のもとで
祖母を母と信じて育っていた頃にできた人格だ。
甘えたでひとえに女性にべたべたとくっつきたがる。
S人格は、7歳のときに
母と信じていた祖母からだまされて引き剥がされ、
ふたたび母の元に引き取られてできたペルソナ人格だ。
実母を継母としてしか感受できない私を
実母は毎日お尻百叩きでスパルタ的に
「かしこい」にわか長男人格に鍛え上げた。
S人格はいまのアド人格の本家で、
人に頼らずたったひとりで生きてきた。

生涯にわたって私はこのふたつの基本人格を
行きつ戻りつして生きるようになった。

頭では自分が別人格時代に作った関係だと分かっていても、
S人格にとって、E人格の相手だったその人は
まったくの赤の他人としか受け取れない。
何の感情も親愛も持つことができない。
自分のE人格の存在ごと認められないのだから
そのE人格の関係者もまた受け入れることができない。
その存在自体認めることができないから
顔も見ることができない。
見ても見ていない。
網膜には映っていても心には映らない。
ただ、気配を感じるだけで
気味悪さとも恥ずかしさとも嫌悪ともつかない
名状しがたい感情でいっぱいになる。
E人格のやったことは何一つ自分のこととして
感じることも認めることもできないのだ。
ふたつの世界は深く否認しあっている。

<自全になる>という課題が立ち上ってくるのは
この問題が解決不能に見えるからだ。
いくら解決不能に見えていても
それを解決することを課題にしたときは、
「人間は自ら解決できる課題だけを提起する。」
というかつてマルクスが言った言葉を信じる。
これが信じられなくなったら
わたしの一切の営みに意味がなくなる。
だが、いまのところ
E人格とS人格の相互否認の問題は
「まったく解決不能のように見える。」
解決などしたくないと
いまの主人格のS人格は感じている。
この状態からいったいどこへ吸うsんで行けばいいのか?

そもそもこれを書いている私とはいったい誰なのだ。
EでもないSでもない。

そうだ。
20代のときに陥った厄介な三角関係で
にっちもさっちも行かなくなったときに
この眺めるだけの、
眺めて記述するだけの
自分は傷つきもしないコメンテイター的な私が
登場したことがある。
<Cの私>とその頃私は呼んでいた。
いま現れているのはこのC人格のようだ。
Eの私は触れ合いたがるオキシトシン系で、
Sの私は警戒心が以上に強いアドレナリン系だが、
Cの私は中性のセロトニン系だ。
人間的感情はない。
ただ見たままを記述するだけ。
いまの主人格のS人格に近く、
E人格の内面に入ることができない。

20代のときも、、
三角関係が壊れてその問題から解放されると同時に
このC人格も消えた。
そして代わって人間世界に背を向け、
物言わぬ自然にだけ触れて自らをひたすら癒そうとする
癒し人格(I人格)が現れた。
鳥吉、魚輔、苔丸、晶(きらら)、笛吹き童子……
何年も何年もその世界をさまよっていた。

さて、これから、何がいったいどうなるのか。
いままでも、
<自全になる>可能性の息吹が感じられたとたん
大波乱が起こって土台ごとひっくり返った。
俺の中で<自全>に触れることを
阻害しているやつがいる。

誰だか知っている。
俺の中の最強・最幼の
<りゅうり大魔王>
だ。
# by yukuefumeisha | 2006-09-22 01:20 | 行方不明者たち

ツリーとリゾーム思考

2006年9月11日

●ツリー思考とリゾーム思考

システマティックな思考とは、
ツリー型の二元論的思考のことだ。
あらゆるものを二元的に区分する。

良い―悪い
on-off
プラス―マイナス
好き―嫌い
役に立つ―役に立たない
敵―味方

自我意識はこの二元論的思考に
脳髄深くとりつかれている。

これに対し、
夢や下意識は
リゾーム型の多次元思考をする。
非二元といっても良い。
本当は世界の実相は非二元、
あるいは多次元的である。
ひも共振の世界がもし
世界の実相であるとすればの話だが。
そこでは何もふたつに分かつものはない。
分かつのは自我のような思い込みによってだけだ。

私は長年自我のツリー型思考に囚われてきた。
若い頃は初期の頃のコンピュータや
ワープロのマニュアルをたくさん書いた。
最初のワープロは液晶画面がたった一行だった。
それでも、キーボードから打ち込むと
文章になって現れるのが驚異だった。
技術者と一緒になって創りあげてきた。
技術者はもうほとんど人間の言葉を失いかけていた。
機械語のような不自由な言葉を
人間のユーザーに分かるものに通訳してきた。
いつの間にか私もコンピュータの二元思考に
脳髄深く毒されていた。
人間の心の動きをどこかでなくしていった。

その恐ろしさに気がついた私は
必死で身をよじり、舞踏の世界に転進した。
そのとき以来、次第に
コンピュータ的な二次元思考を捨てていった。

機械のマニュアルが読めなくなった。
インドへ来てからは、
まったく二元論的高度な思考ができなくなった。
その代わりにリゾーム的な流動的思考をするようになった。
簡単なツリー思考はいまもできる。
もともとツリー思考のほうが低次元なのだから。
だが、もうすべてを二元論的思考で割り切ろうとするような
馬鹿な真似はする気がなくなった。
いまも世界中の科学者はそうしている。
二元論を推し進めた粒子論的立場を取る
物理学の標準理論では、
重力を含んだ宇宙が捉えきれないのに
その無理を闇の中に封印している。

宇宙はもう、共振原理に転換しないと
これ以上解明が進まないところまで来ている。
ツリー思考と、リゾーム思考を
うまくミックスさせる思考法を発明する必要がある。
いくら世界の実相が非二元だといっても
リゾーム思考だけではうまく記述できない。
言語は近代に入って二元思考の産物として発展してきた。
流動的知性の比喩やメタファーを
使いきれる人が少なくなった。
詩人はだんだん滅びていった。

どうして回復できるのか。
分からない。
わたし自身二元思考に囚われた意識と
リゾーム的に変容流動する
サブボディに大きく分裂している。

一日のうちでこちらからあちら、またこちらと
何千里も往復しなければならない。

ここから先が、透明論の課題だ。
やれやれ、先は長いなあ。
# by yukuefumeisha | 2006-09-12 04:15 | 行方不明者たち